忠臣蔵が伝えるもの
目次
元禄赤穂事件と
忠臣蔵の関係
12月14日は、討ち入りの日です。
由来となっているのは、江戸時代にあった、あまりにも有名な仇討ち。
そう。「元禄赤穂事件」です。
「忠臣蔵」じゃないの?と思った方。けっこう多いのではないでしょうか。
「元禄赤穂事件」は、江戸時代、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が率いる赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りし、亡き主君の仇を取った事件。
この「元禄赤穂事件」という史実を題材に創作されたのが「忠臣蔵」です。
はじまりは、事件から約50年後に上演された人形浄瑠璃の作品、「仮名手本(かなでほん)忠臣蔵」。
この作品が大人気となって歌舞伎でも上演され、その後も舞台、映画、ドラマなどさまざまに形を変えて受け継がれる中で、「元禄赤穂事件」のことも「忠臣蔵」と呼ぶようになったのです。
実際に事件が起こった江戸時代はともかく、世の中が大きく変わった近代以降も物語は多彩に脚色され、さらに人気を高めていきました。
昭和から平成にかけてのある時期には、年の瀬に「忠臣蔵」の大作時代劇が放送されていたことから、師走の風物詩の一つとなっていました。
改めて振り返る
忠臣蔵のあらすじ
しかし、最近では「忠臣蔵」を知らない世代も増えています。
これまで興味がなかったという方のためにも、ここで事件をおさらいしておきます。
1701年(元禄14年)3月14日の午前9時ごろ。
江戸城内の松の廊下で赤穂藩(現在の兵庫県西部)藩主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が江戸幕府で儀礼などを取り仕切る高家(こうけ)に任じられていた、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に小刀で斬りつけ眉間と背中に傷を負わせました。
傷は浅かったものの、浅野内匠頭はその場で取り押さえられてしまいます。
浅野内匠頭は「この間の遺恨、覚えたるか!」(これまでの恨み、覚えているか)という言葉とともに刀を振り下ろしました。この「遺恨」とは何だったのか。このとき、浅野内匠頭は35歳。対する吉良上野介は61歳。親子ほども年の差がある二人の間にいつ、どのように恨み辛みが積み重なったのでしょうか。吉良への賄賂が少なかった、赤穂の塩田技術を盗まれた、さまざまな嫌がらせを受けたなど諸説ありますが、真実はわかっていません。
というのも、この日は時の将軍、徳川綱吉の母に朝廷が官位を授ける儀式が行われることになっており、母の大切な日に刃傷事件を起こされた綱吉は激怒。喧嘩両成敗という当時の慣習を無視し、浅野内匠頭は即日切腹、赤穂藩の領地は没収、浅野家もお家断絶とし、一方の吉良上野介はおとがめなしとしました。将軍は怒りに任せ、きちんとした調べもしないまま一方的で不公平な裁定を下したのです。
失業し浪人となってしまった赤穂藩士たちが将軍の裁定を不服とするのは当然のこと。お家再興を企てますが実現せず、主君の仇討ちとして吉良上野介を討ち取ることを決めます。背中を押したのは、「幕府の裁定は不公平だ」「浅野の家臣たちはいつ討ち入りをするのか」といった江戸市民の声でした。
そして、1702年(元禄15年)12月14日の夜、47人の赤穂浪士が江戸・本所松坂町にある吉良邸に討ち入り、吉良上野介と家臣28人を惨殺し本懐を遂げました。
その後、赤穂浪士には切腹が言い渡され、名誉の死を遂げます。
討ち入りを受けた吉良家は、騒ぎを起こした責任を問われお家断絶となり領地も没収されてしまい物語は幕を下ろします。
さらなる感動を誘う
サイドストーリー
「忠臣蔵」が300年以上も人々の心を引きつけて離さない理由のひとつに、討ち入り事件に関連して展開されるさまざまな人間模様があります。
赤穂浪士47人の討ち入りの一部始終を“聞いて”いた、吉良家の隣に住む旗本・土屋主税(つちやちから)は、塀を越えて逃げてくる吉良家の者を追い返せと家臣に命じ、討ち入りが行われる吉良邸を提灯で照らすなど間接的に仇討ちの手助けをします。
また、松の廊下事件を取り調べた幕府の目付役、多門伝八郎(おかどでんはちろう)は、浅野内匠頭から吉良の容体を尋ねられた際、彼の武士としての面目を立てるため「傷は深い、長くはもたないだろう」とウソをつきました。
浅野内匠頭のよき先輩であった龍野藩主、脇坂淡路守(わきさかかわじのかみ)は松の廊下事件の際、いち早く現場に駆け付け、傷を負った吉良にわざとぶつかって着物に血をつけ、「紋所を不浄の血で汚すとはなにごとか、無礼者!」と持っていた扇で吉良の額の傷をぴしゃりと叩き浅野内匠頭の無念を晴らしました。
どれも暗闇の中に差し込んだ一筋の光のような、ジーンと心があたたまるエピソードです。
主君への忠誠心や武士道の美学など、「忠臣蔵」の魅力として語られるものの中には、時代の流れによって共感や理解がしづらいことも出てきています。
しかし、いつの世も理不尽は絶えることがなく、強い者が弱い者を叩く構図は変わりません。「忠臣蔵」では、そんな現実の中でもがき苦しむ人の悲しさや苦しみだけでなく、その側に何とか力になろうとする人や正義を貫こうとする人が確かに存在する、やさしい世界も描いており、それが世代を超えて人々の心を打つのです。
時に涙し、時に怒りに震え、最後には今を生きている喜びを感じさせる。
単なる仇討ち成功話ではないスケールと奥深さが「忠臣蔵」にはあります。
自分が年を重ねるごとに、感動するポイントや感情移入する登場人物が変わっていくのもおもしろいところ。
「忠臣蔵」に何を思うか、家族や友人と話してみると意外な感想や価値観に触れられるかもしれません。
年末年始の話題のひとつにぜひ。
※写真はすべてイメージ
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