巨星フィリップ・ニードルマン先生を偲んで
―「Show me the data.」 徹底した事実追究が拓いた創薬の地平―

~くすりを知るシリーズ㉒~
薬剤師 NK

 

はじめに

米国ミズーリ州セントルイス、ワシントン大学の名誉教授であり、現代薬理学の基盤を築いたフィリップ・ニードルマン先生が不慮の事故で急逝されてから、まもなく三回忌を迎えます。
先生は、ワシントン大学医学部の薬理学主任教授として数々の革新的発見を成し遂げた後、モンサント社、サール社の研究開発トップとして、基礎研究を実際の治療薬へと昇華させる「トランスレーショナル・リサーチ」の先駆者となりました。門下生のみならず、世界の科学者が今も指針とするのは、先生が事あるごとに口にされた、この言葉です。
 "Show me the data. I'm from Missouri."
(データを見せてくれ。私はミズーリ出身なんだ。)
ミズーリ州の愛称である「Show-Me State(証拠を見せろと言う州)」にかけたこの言葉は、既存の権威や仮説に惑わされず、目の前の生データが語る真実のみを道標とする、先生の科学者としての峻厳な姿勢を象徴しています。

目次

1. 循環器薬理学への貢献:レニン–アンジオテンシン(RA)系と有機硝酸薬の再定義

ニードルマン先生の基礎研究の真髄は、「内因性因子と心血管機能・炎症」のつながりを分子レベルで解明した点にあります。
まず、先生はアンジオテンシン受容体拮抗薬の最初期の分子を発見しました。これが、今日、高血圧治療の柱であるレニン–アンジオテンシン(RA)系制御の概念を確立する先駆けとなりました。

 
 

また、狭心症の薬として臨床で長く使われていたニトログリセリンについても重要な知見を残されています。先生は、有機硝酸薬の「初回通過効果(first-pass metabolism)」を明確にしました。なぜこの薬が経口では効果が弱く、舌下投与や貼付剤としてデザインされるべきなのか。その薬物動態学的な根拠を確立したことは、薬剤師が製剤特性を理解する上での極めて重要な基礎となっています。

2. 心臓を「内分泌器官」へと変えた、「アトリオペプチン」の発見

1980年代前半、先生の最大の功績の一つは、心房から分泌されるペプチドホルモン「ANF(atriopeptin:心房性ナトリウム利尿ペプチド)」の同定です。それまで心臓は単なる「ポンプ」と考えられていましたが、先生の研究により、ナトリウム排泄や水バランス、血圧を調節する「内分泌器官」としての側面が明らかになりました。
この発見は、心不全の病態生理に革命的なパラダイムシフトをもたらしました。後に、この知見は塩・水バランスの制御を軸とした心不全治療薬「エプレレノン(ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬)」の開発へと結実し、今なお多くの患者さんの予後改善に寄与しています。

3. COX-2の発見と、NOとの複雑な「クロストーク」

先生の名を世界に知らしめたのは、シクロオキシゲナーゼ-2(COX-2)の発見です。1980年代後半、炎症に関わるCOXは一種類とするのが通説でしたが、先生は「炎症部位で特異的に発現が増加するアイソザイム」の存在をデータから確信していました。周囲の懐疑的な声をよそに、先生は口癖である「Show me the data. I'm from Missouri.」 という言葉通り、徹底的な実験と検証を重ねました。その結果、ついに誘導型の酵素であるCOX-2を同定しました。
さらに特筆すべきは、一酸化窒素(NO)とプロスタグランジン(PG)産生の「クロストーク」の解析です。先生は、NOが単なる血管拡張因子であるだけでなく、COXアイソザイムを直接活性化して炎症性PGE2の産生を増強しうるという、炎症の増幅メカニズムを詳細に明らかにしました。

COXの代謝物で血小板凝集の主役であるトロンボキサン(TX)の合成酵素阻害薬の研究と合わせ、血小板・血管反応の調節メカニズムを解明したことは、抗血栓療法や抗炎症療法の発展に計り知れない影響を与えました。

4. 数百万人のQOLを変えた、トランスレーショナルへの挑戦

先生が率いた研究開発は、基礎から臨床へ、驚くべきスピードで社会実装されました。

炎症・疼痛: COX-2選択的阻害薬 「セレコキシブ(セレブレックス)」などの開発を牽引。従来のNSAIDsの最大課題であった消化管障害リスクを低減し、高齢者や慢性疼痛患者の治療に光をもたらしました。
がん治療: 製薬企業のR&Dリーダーとして、血管新生阻害を軸とした分子標的薬「スニチニブ(スーテント)」などの開発に関与。がん薬物療法のパラダイムを変えるプログラムを推進しました。
これらの薬剤は、関節炎、心不全、がんといった多岐にわたる領域で、世界中の患者さんのQOLを改善し続けています。

5. 薬剤師として、その精神をどう継承するか

先生はどんなに多忙になっても若手の生データ(Raw Data)を自らの目で確かめることを好みました。
「データは決して嘘をつかない。嘘をつくのは、それを見る人間のバイアスである。」
この教えは、私たち薬剤師にとっても極めて重い意味を持ちます。
処方箋の背後にある患者さんの微かな訴え、検査値のわずかな変動。それらを「例外」や「気のせい」として処理してはいないでしょうか。あるいは、自分の仮説に合うデータだけを拾い集めてはいないでしょうか。

ニードルマン先生の三回忌にあたり、改めて襟を正したいと思います。先生が貫いた、データに対する峻厳なまでの誠実さと、常識を疑う科学的探求心。その精神を継承し、目の前の患者さんのために「真実」を見極める努力を続けること。それこそが、先生からバトンを受け取った私たちの使命だと信じています。

偉大なる科学者であり、心優しき指導者であったフィリップ・ニードルマン先生の安らかなるご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

【参考文献】
1. Needleman P. Organic nitrate metabolism. Annu Rev Pharmacol. 1976;16:81-93.
2. Currie MG, Geller DM, Cole BR, Boylan JG, YuSheng W, Holmberg SW, Needleman P. Bioactive cardiac substances: potent vasorelaxant and natriuretic peptides isolated from atria. Science. 1983;221(4605):71-3.
3. Needleman P, Greenwald JE. Atriopeptin: a cardiac hormone intimately involved in fluid, electrolyte, and blood-pressure homeostasis. N Engl J Med. 1986;314(13):828-34.
4. Masferrer JL, Zweifel BS, Manning PT, Hauser SD, Leahy KM, Smith WG, Isakson PC, Seibert K. Selective inhibition of inducible cyclooxygenase 2 in vivo is anti-inflammatory and non-ulcerogenic. Proc Natl Acad Sci U S A. 1994;91(8):3228-32.
5. Salvemini D, Misko TP, Masferrer JL, Seibert K, Currie MG, Needleman P. Nitric oxide activates cyclooxygenase enzymes. Proc Natl Acad Sci U S A. 1993;90(15):7240-4.
6. Wheeler B. Obituary: Philip Needleman, emeritus trustee, longtime benefactor, 85 [Internet]. St. Louis: Washington University in St. Louis; 2024 Apr 2 [cited 2026 Jan 24]. Available from:https://source.washu.edu/2024/04/obituary-philip-needleman-emeritus-trustee-longtime-benefactor-85/